Tuttiピアノ教室・オリジナルレッスンノートの夏休み課題「作曲家について調べよう」
たくさんの生徒さんが調べてきてくれました。
音楽に限らず、物事を調べるって楽しいですよね。新しい発見は財産になります!!

 

ピアノの作曲家、調べたよ!

年長さんの女の子も、張り切って楽しみ課題に取り組んでくれた様子。
そのドヤ顔が忘れられないですっ。笑

 

課題テーマは、あの有名なショパンです。
生徒さんの中にもショパンのピアノ曲に憧れている人がとても多いですね。
近い将来、演奏を聴かせてくれるだろうと楽しみにしていますよ。

 

で。
小さな女の子がショパンのことをどう思ったのか、何を感じてくれたのか
私も大変興味深かったので、すぐに読ませてもらったのですが、、、

 

あまりにも可愛く、あまりに率直すぎる感想に思わず大笑いしてしまいました

 

cyo-min
↑これです。

 

○○ちゃんのパパはショパンみたいなの?

 

うん、絵がパパににてた!!

 

そっかー、○○ちゃんのパパはショパンに似てるんだー。
是非、会ってみたいなぁ。
(まだ、パパはにお会いしたことないんです)

 

今、期待に胸膨らんでます。
ショパンですいー、ショパン!!!

 

それから
「若すぎる死」ということが、とても衝撃的だったようですね
まだまだ、命について理解できるまでには年齢が必要です

 

もう少しお姉さんになったら、またショパンについて更に掘り下げて
調べてもらいたいなぁと思いました
できれば作品についてもう少し深く、、、

 

ショパン調べにお付き合い頂いたパパさん、ありがとうございました。

 
 

みんなの憧れるショパン

3days_chopin-min
出典::MERY

 

ショパンは、1810年にフランス人の父とポーランド人の母の間に生まれました

ショパン一家が生後7ヶ月に時にワルシャワへ移動、20歳までこの地で暮らしました
でも、生まれつき体が弱かったショパンは療養のためにポーランド田舎で過ごすことが多かったそうです。

 

ショパンがマズルカやポロネーズなどのポーランド民族舞曲を作っているのはこの療養生活があったからなんですね!

 

ショパンは7歳から作曲を始めたといわれていますが、20歳になると音楽活動の場を広げるためにウィーン、そしてフランスへ移住して世界的な音楽家の地位を確立しました。

 

ほんとは、ほんとは、祖国ポーランドに戻りたかったショパン。
とても祖国愛の深い人でした。

 

でも、皆さんが歴史をお勉強したらわかりますが、当時のポーランドは辛い時期にあり
ショパンがワルシャワに戻ることはありませんでした。

 

⇒革命のエチュード 12の練習曲 作品10 第12曲
ロシア帝国からの独立に失敗、ワルシャワが陥落したことを聞き作った曲といわれる

 

大切な故郷ワルシャワへの告別の思いを乗せたピアノコンチェルト
 

当時のポーランドの悲劇的な姿を反映したものではないかともいわれる。悲劇的で重々しい思いが伝わってくる
 

ショパンは39歳という若さで亡くなりました。ほんとに若すぎる年齢です。生きていたら、もっともっと素晴らしい作品がたくさん残っていたでしょうね。
ショパンは遺言として「体は戻れなくとも、せめて心臓だけでも持ち帰ってほしい」とお姉さんであるルドヴィカに伝えています。
 
ショパンの遺言通りに心臓はワルシャワに運ばれ、聖十字架境界の柱の中に安置されたそうです。(最後はちょっと生々しいエピソードですね)
 

女性的で、繊細で、ロマンティックなショパンのピアノ曲は世界中から愛される作品ばかりです。民族性の濃いショパン独特な作品もたくさんあります。
 

ピアノを学ぶ皆様一度はショパンの美しい、愛に溢れた、そして切なさも持つピアノ曲を弾いて下さいもちろん、簡単ではないけどチャレンジしてください。
その後の人生観変わりますよ!!
 

ぽちっとクリックおねがいします

にほんブログ村 クラシックブログ ピアノ教室・ピアノ講師へ
にほんブログ村

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です